今日ご見学頂きます北海公園は西城区の故宮の西北、景山公園の西隣にあり、旅行コースとして非常に便利ということから、北京でも、旅行者が最もよく訪れる公園の一つとなっています。北海公園は歴代王朝の御苑(ぎょえん)で、昔、西苑とも呼ばれました。面積は故宮とほぼ同じで、約68ヘクタールです。中国の古代神話の仙境をイメージしていて、建物や風景はとても美しく造られています。 それでは、まず北海公園の全貌(ぜんぼう)についてお話します。 概説(がいせつ) 北海公園はその半分以上を占める北海とその湖畔地区、北海に浮かぶ瓊華島(けいかとう)、そして南の団城(だんじょう)の3つに分かれています。北海公園の歴史は古く、いまから一千年以上前の遼の時代に遡ります。元の時代、首都大都は皇帝のこの瓊華島を中心に設計されていました。その後、明と清の両時代にも御苑として整備が続けられ、北海は皇室の御園の壮麗さ、寺院宗教建築の荘厳さ、南方園林の秀麗さを併せ持つ名園になったのです。遼、金、元、明、清の五代の王朝の離宮(りきゅう)や御苑だった北海公園は、これら五朝の風流の粋を集めた大展示場で、北京の観光には欠かせないところです。お時間があれば、どうぞ宮廷料理の「倣膳飯莊(ほうぜんはんしょう)」で、一日をかけて「肉末焼餅」(炒めたひき肉をはさんだ中国風ハンバーガー)などで、舌つづみを打ち、五朝の風流の粋をゆっくり楽しんでください。なにしろ、この宮廷料理の倣膳飯莊は、清の乾隆帝が北海のほとりに建てた漪瀾堂(いらんどう)に設けられている有名な料理屋で、「肉末焼餅」は西太后(1835~1908年)の大好物だったそうです。芥川龍之介(1892~1927年)ら日本の多くの文人も遊んだこの北海公園は、ユネスコの世界遺産として登録されたところでもあります。 北海公園の総面積は68.2ヘクタールで、このうち陸地面積は29.3ヘクタール、水面面積は38.9ヘクタールです。建築物は中国古代の神話を模して配置され、瓊華島、団城と水雲(中海の中央)はそれぞれ伝説の中の「蓬莱(ほうらい)」、「瀛洲(えいしゅう)」、「方丈(ほうじょう)」というところをを象徴しています。この三つは、いずれも中国の伝説の中の地名で、東海(とうかい)と言って東の海にある仙人の住むところだそうです。 それから、北海の中心である瓊華島にはそのシンボルでもある白塔が聳えています。また瓊華島の西側には湖にそって5つの亭が並んでいます。この5つの亭が湖に映る姿を遠くから眺めると、まるで5匹の龍が泳いでいるように見えるため、「五龍亭」の名で呼ばれていました。ここは、清代の皇帝や皇后たちが月見をしたり、花火を鑑賞したり、魚釣りを楽しんだりした場所です。 故宮の裏門を出て北西に少し歩くと、豊かな水と白い塔が印象的な北海公園が目に入ります。今では公園となっているこの北海には千年の歴史があります。遼の時代には帝王が遊ぶ御用地となり、「瑶嶼(ようしょ)」と呼ばれ、湖の中の瓊華島には多くの建築物がありました。王室の庭園としてはイギリス?ロンドンの王室公園「セント?ジェームズ?パーク」(ヘンリー8世の時期、16世紀前期造営)が有名ですが、北海はそれより6、7百年も造営が早いそうです。北海は「世界で最も早く造営された皇室の御苑」といわれ、中国に現存する旧王朝の御苑の中でも歴史の最も長い、最も完璧に保存されている皇室の御苑の一つです。 北京城の建設とともに、北海公園も拡張整備され、歴史上貴重な文物や壮麗な建築群が残っています。いまでは、貴重な文物の研究をしたり、白塔に登って景観を楽しんだり、池の周りを散歩するのもよいでしょう。公園の北部には遊園地もあり子供も大人も楽しめます。また、国内外の観光客が集まり、夏はボート、冬はスケートを楽しむ行楽地にもなっています。 水をたたえた北海を見たことがおありでしょうか。冬は、北海の水はいつも凍っています。夏の北海は、静かな「北海」で、ボート遊びと柳の緑とが、清涼感を際立たせます。 白塔山の瓊華島(はくとうざんのけいかとう) それでは、お足元ご注意ください。 皆さん、この「永安橋」を渡ると、周囲880メートルの島、瓊華島に着きます。瓊華島は南側にある白塔山?万歳山と呼ばれる丘を中心とした小島です。13世紀、北方民族の金が、陥落(かんらく)した北宋の首都開封(かいふう)から運んできた太湖石の巨石を使って造ったものといわれています。島の周囲は880メートルで、山の高さは45メートルです。元の時代の世祖フビライは、ここ瓊華島を中心に首都大都を設計しました。 永安寺(えいあんじ) みなさんご覧になってください。この山の前は永安寺です。この寺は山門(さんもん)、法輪殿(ほうりんでん)、正覚殿(せいかくでん)、普安殿(ふあんでん)、普因殿(ふいんでん)からなっています。これらの建物は山の斜面に沿って、低い所から、高い所へと建てられています。今、私たちは法輪殿の後ろにいます。これは「龍光紫照(りゅうこうししょう)」という坊です。坊の東西にそれぞれ「引勝亭(いんしょうてい)」と「涤蔼亭(てきあいてい)」があります。引勝亭の中に「白塔山総記」という石碑があって、涤蔼亭の中にも「白塔山四面記」という石碑があります。石碑の上に白塔山の歴史と景色が書いてあります。それはすべて乾隆帝が書いたものだそうです。 次は白塔をご案内しましょう。 白塔(はくとう) 北海公園の中心部で、島の南側の「永安寺」の伽藍(がらん)は白塔寺と並び称されるチベット仏教の塔です。この塔は清の順治帝が建てたもので、あわせて永安寺が創建され、その後、乾隆帝の時に島の北側から西側に多くの楼閣が建てられました。瓊華島のシンボルは何といってもこの白塔です。 現在の白塔は1651年に建てられたのち、一度1964年の大修理を経ています。高さは35.9メートル、その土台はレンガと石で築かれた須弥座(しゅみざ)です。遠くからみると、緑の中に、白塔の白さが際だっています。白塔の前にある永安寺もチベット仏教(ラマ教)寺院で、北京では珍しい様式の建築物です。 元の時代にはすでにフビライ帝により、寺院としての大きな塔が建てられ、チベット仏教の活動の中心地になっていました。仏典や書籍の翻訳もここで行われていたようです。 閲古楼(えつころう) 皆さん、今、私たちは島の北側にいます。この半月形の2階建ての建物は閲古楼です。各階には25の部屋があります。階段は螺旋状で、「蟠龍昇天(はんりゅうしょうてん)」と言われています。楼内の壁には、三希堂(さんきどう)の法帖(ほうじょう)の模刻石板が495枚はめこまれています。有名書道家の王義之の「快雪時晴帖」、王献之の「中秋帖」、王珣(おうじゅん)の「伯遠帖」といわゆる三絶の石刻(せっこく)も納められています。閲古楼には中国古代の書道大家の代表作が一堂に集められており、書道の愛好家に親しまれています。 倣膳飯莊(ほうぜんはんしょう) 今、私たちは閲古楼の北西にいます。ここは、西太后が大好きだった宮廷のお菓子を食べさせてくれるレストランです。 倣膳飯庄は宮廷料理で80年近くの歴史を持つ老舗です。1925年、清の宮廷の御膳房の小吏(しょうり)だった趙仁斎とその息子の趙炳南(ちょうへいなん)が御膳房(ぎょぜんぼう)の料理人であった孫紹然(そんしょうぜん)、王玉山(おうぎょくさん)、趙承寿(ちょうしょうじゅ)らと北海公園北岸に開いたのが始まりで、御膳房の調理方法を模倣したという意味で「倣膳茶社」と名付けられました。 それから1955年に国営化され、1956年には「倣膳飯莊」と改名されました。1959年、北岸から瓊華島、漪瀾堂(いらんどう)、道寧斎(どうねいさい)など乾隆年間に建てられた建築群に移転しました。山を背に湖に面するその景色は格別です。 倣膳飯庄には、約800種類の宮廷料理メニューがあり、その中でも鳳尾魚翅というフカヒレの姿煮、金蟾玉鮑というかえるとあわびの蒸し物、油攅大蝦、これは海老の炒め物、溜鶏脯これは鶏肉の炒め物、などが最も特色ある料理となっています。点心では、碗豆黄、芸豆巻、小窩頭、肉末焼餅などが有名です。もちろん最も有名なものはやはり「満漢全席」です。海の幸や山の幸などの豪勢な材料を用い、満人の「焼烤」と漢人の「燉燜煮炸」などの技法で作られたその料理は、満漢の南北の味の精髄(せいずい)というべきものです。完全な「満漢全席」は4~6回分の食事でやっと食べ終わるものですが、「満漢全席精選」だと一食で全席の醍醐味(だいごみ)を味わえるようになっています。 話によると、ここで、焼餅に肉でんぶをはさんで食べるのは西太后ゆかりの点心だそうです。義和団事件で西安に逃れた際、好物になった庶民の味です。店内は内装もりっぱでウエイトレスも貴妃の衣装です。
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