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軍は第34師団を以ってこの敵を攻撃したが敵の抵抗に遭い進展しなかった。このころは連日の降雨のため道路は泥海のようになり、兵站物資の輸送は困難であった。 このため第1線兵団は6月下旬まで殆ど後方補給を受けることができなかった。自動車道は使用不可能となり野砲、自動車等の車輛部隊の移動も困難となり、岳州-長沙道に車輛は充満する状態となっていた。 6月 7日 益陽及び瀏陽方面の敵を撃滅するとともに長沙周辺の敵に対する攻撃準備部署を発令した。 6月11日 第40師団は益陽を占領 6月16日 敵の第73、第74軍を撃破し寧郷を占領 また岳麓山に布陣する敵と長沙に対して攻撃を開始。 6月18日 長沙を占領した。この間第5航空軍の爆撃機は、米中軍に比して極めて劣勢であったが効果的に攻撃し、爆撃威力は著しいものがあった。 ◆第1次衡陽攻撃◆ 長沙攻略後、軍は敵の態勢の崩壊に乗じ一部を以って衡陽に向かい、主力を以って爾後の作戦を準備するに決した。6月22日 湘郷を攻略 6月26日 衝陽飛行場を占領 6月27日 湘江を渡河、衝陽西南地区に進出 6月28日 衡陽攻撃を開始した 6月29日 第58師団の一部と第218聯隊はそれぞれ衡陽の西北と東北より攻撃を開始したがはかばかしくなく、 第68師団長及び師団参謀長が敵迫撃砲弾にて負傷する といった苦戦を強いられた。 6月30日 このため第116師団長岩永中将の指揮によって攻撃を再開したが敵の抵抗は頑強で成功しなかった。 7月 2日 軍は攻勢を一時中止し、砲兵部隊を進め、航空部隊の援護のもとに一挙に敵を攻撃するに決した。 敵の戦意は旺盛であり航空兵力は優勢であった。 衡陽は要塞化され、蒋介石総統が方先覚軍4個師団に死守を厳命していたのである。 対して日本軍は追撃に次ぐ追撃で弾薬等が不充分の上に占領した飛行場の修復が遅れており 航空支援が得られる状況ではなかった。 7月になり、敵は逐次大兵力を進め我が衡陽攻略部隊の背後を脅かすまでとなり、 我が軍は逆包囲される状況となりつつあった。 敵の航空勢力は優勢で、夜間行軍と夜襲しか方法がなかった。 ◆第2次衡陽攻撃◆ 7月10日 後方からの火砲、弾薬の追送,航空部隊の準備が完了しつつああった。 7月11日 改めて衝陽西南方に向けて攻撃を再開した、若干の前進陣地を攻略した。 7月15日 本格的な攻撃を実施し一部の地域を攻略したが戦況は進展しなかった。 軍は状況に鑑み更に十分なる準備-特に第1線兵団の戦力を充実した後攻撃を再開することに決した。 ◆第3次衡陽攻撃◆ 7月下旬となり、攻撃再開の準備は整えられた。
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