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[游记]朝鲜半岛の考古学についてその2 |
| 2008-05-22 live.com |
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2007/11/22 ③ 百済中期で、豊富な副葬品が発掘された王陵について、 1)王陵の名称、2)王の在位年代、3)墓の構造の特色、を記せ。 ④ ③の王陵の木棺の材質名と産地はどこか記せ。 ⑧ 百済寺院と古新羅寺院、そして統一新羅寺院の伽藍配置の特徴を簡潔に記せ。 ⑨ 伽耶諸国の国力の源は何か。 ③百済中期で、豊富な副葬品が発掘された王陵について 1)王陵の名称 1971年7月5日に忠清南道公州市(かつての熊津)の宋山里古墳群6号墳の壁画の剥落を防止するため、6号墳の後方に排水溝をつくるための溝を掘っていたときに発見された塼室墳である。王の墓誌、王の買地券が見つかり、王の墓誌には「寧東大将軍百済斯麻王 年六十二歳 癸卯年五月丙戌朔七日壬辰崩到 乙巳年八月癸酉朔十二日甲申安サク 登冠大墓立志如左」と記され、王の生没年が判明する貴重な史料となっている。被葬者は百済の武寧王であり、523年5月に亡くなり525年8月に埋葬された。その王妃は526年12月に亡くなり529年2月に埋葬されていることから、約2年数ヶ月の殯(もがり)の期間があることがわかる。これは、『周書』異域伝百済条にみえる「父母及び夫が死んだときは、3年間喪に服する」という記事とも一致する。墓誌にみえる「斯麻」は生前の名前であり、死後に「武寧」という諡が与えられたことが『三国史記』に記されているので、「武寧王陵」と呼ばれる。 2)王の在位年代 武寧王(462年~523年)は百済の第25代の王で在位期間は502年から523年までの間である。 3)墓の構造の特色 王陵からは、金環の耳飾り、金箔を施した枕足乗せ、冠飾などの金細工製品、中国南朝から舶載した銅鏡、陶磁器など約3000点近い華麗な副葬品が出土した。これは盗掘にあっていなかったためである。埋葬施設は南朝の墓制である塼室構造ももっており、南朝との強い結びつきがうかがわれる。武寧王陵は、傾斜面の風化岩盤層を掘削して、磚で羨道と玄室、排水溝をつくり、その上に直径20mの円形封土をつくったトンネル形磚築墳である。玄室は平面長方形の単室墳で、南北4.2m、東西2.72m、高さ3.14mに達する。玄室の内部は、南側の壁面から幅 1.09mの部分を除き、全体を床面から21cmの高さにして、王と王妃の合葬棺台とした。四壁のうち南北壁は下から天井まで垂直で、東西壁は壁面の上部を少しずつ内側に傾けてトンネル形天井を構成した。壁面の磚を積む方法は、長手積みと小口積みを交互に行うもので、長手積みは4枚の磚を横にして積み重ね、小口積みは、1枚の磚を立てて配列した。玄室を構築した磚には、斜格子の網状文に6~8葉の蓮華文、そして忍冬文が施文されている。玄室の壁面には計5ケ所の龕室が設置されている。北壁に1ケ所、東西壁に2ケ所ずつ龕を設置して、その中に白磁燈盞を1個ずつおいていた。玄室の床面と棺台は磚を二重に敷いており、外に現れる上面を網代状に配列して、下側の磚は石灰を塗って岩盤に固定した。羨道は玄室の南壁中央に設置され、長さ2.9m、幅1.04m、高さ1.45mで、玄室と同じくトンネル形である。床面には網代状に磚を敷いており、玄室の床面より高くて棺台と同じ高さである。羨道の入り口の左右には磚を垂直に積んでおり、その高さは 3.04mである。 ④ ③の王陵の木棺の材質名と産地はどこか記せ。
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